あらすじ
殺人ウイルスと核ミサイルの脅威により人類死滅の危機が迫る中、南極基地で生き延びようとする人々のドラマを描いた作品。 「愛は、人類を救えるのか?」MM88、その細菌兵器によって全世界は大パニックとなり、 氷に閉ざされた南極大陸に残された探検隊の863人を除き、45億人の人類が死んでしまった。 滅亡寸前にまで追いこまれた人類は・・・
VIRUS
英題は「VIRUS」。新型ウイルスが全世界で猛威を振るい、人類がほぼ死滅するストーリーだ。原作は1964年、小松左京のSF小説。角川映画初期の超大作として、膨大な製作費を費やして製作された。1980年邦画第2位のヒットにも関わらず、利益は出なかったらしい。角川春樹は、そこまでしても、この作品の映像化に執念を燃やしたのだ。
米国が開発したウイルス兵器「MM-88」が、東独でスパイに奪われる。スパイの乗った飛行機がアルプス山中で墜落、ウイルスは驚異的な繁殖力で全世界に蔓延する。高い毒性を持つウイルスによって人類はほぼ死滅する。しかし、ウイルスは氷点下の気温では繁殖できないため、各国の南極基地隊員のみが生き残る。
ウイルスの猛威は、医療崩壊を招く。東京の病院では医師(緒形拳)、看護師(多岐川裕美)たちが、自身も感染しながら激務に身を投じる。各地でワクチンを求めるデモが発生、暴徒化した群衆と機動隊が激突する。街路は死体で溢れ、自衛隊の焼却処理も間に合わない。
世界は滅亡寸前となる。瀕死の米国大統領から南極基地へ、世界政府の存続要望が発せられ、米国の提督をリーダーとする臨時政府が発足する。
日本越冬隊の地震学者(草刈正雄)が、米国東海岸での地震発生を予知する。ワシントンやニューヨークに大きな被害が出たとしても、無人の廃墟が破壊されるだけだ。しかし、地震の振動が核爆発に類似しているため、自動報復装置が誤作動する可能性が高いことが判明する。米国から仮想敵国に報復ミサイルが発射され、その攻撃を受けた国から更に報復ミサイルが発射される。先進国の主要都市は壊滅状態になり、放射能で汚染されることは回避できない。しかし、それとて無人の都市にて起こる惨事だ。
ソ連の代表が、言いにくいことを明らかにする。ソ連の報復ミサイルは、ニューヨークやロンドンだけでなく、米国や英国の南極基地も射程されていたのだ。
冷戦時代の核の恐怖
1964年と言えば、米ソ冷戦が激化していた時代である。第二次世界大戦の記憶はまだ新しく、本格的な核戦争の勃発もリアリティをもって恐れられていた。
ワールドワイドな脅威は、強い不安を民衆の心に齎す。しかし、核戦争の抑制は、一般大衆にコントロールできるものではない。無辜の民衆に大惨事が起こるかもしれないという不安は、コントロールする責務を持つ政府への批判的な感情に結び付く。自分たちは被害者「候補」である、という安全地帯にて、反戦運動はやや幼い熱を帯びる。
明るい未来は、自ら築かなければ到来しない。一方、全世界的な破滅を夢想することは、フィクションに近い昂奮を呼び起こす。義憤のなかに、密かな破滅衝動も混じり、人々は、社会不安という、ある種のエンタテイメントを消費する。台風の接近や地震の際、このエンタテイメントのライト版が、日常的に消費されている。
マスコミにとって、このネガティブなエンタテイメントは、格好の商売ネタだ。全ての台風は、今年最大「級」であり、岬に立つレポーターは、脆弱なビニール傘を持っている。新型コロナウイルスは、ネットに押されがちなテレビにとって起死回生のネタなのだ。「STAY HOME」によって視聴率は確実に上がっている。
不安を煽るのはマスコミだけではない。SF小説もこの不安感をベースに置くことが定番だ。「復活の日」も、核戦争、生物兵器という脅威を描き、米ソ冷戦の激化を批判している。
小松左京の圧倒的な筆力は、読者を巧みに仮想リアリティの世界に引き込む。しかし、小松は、不安を煽るだけのマスコミとは根本的に違っている。この作品が大きな感動を呼ぶのは、奇跡ともいえる「復活」を信じることの尊さを突き付けてくるからなのだ。
深作欣二の描く、人間の活力
深作欣二は、人間の荒ぶる活力を描いてきた映画作家だ。ヤクザ映画では、男たちの暴力が、肉体感覚に優れたアクションとして、切れ味良く描かれる。怒りを爆発させ、殴りかかる男。拳銃を手に、恐怖に震えるチンピラ。撃たれた幹部の、のたうち回る姿。闘いの前夜、荒ぶる性欲で女を抱く背中の刺青。
しかし、アクションは肉体だけに現れるのではない。最高傑作「仁義なき戦い」シリーズ(1973~1974)の菅原文太や小林旭は、暴力を振るわない。中堅幹部の菅原や小林は、組織の政治的駆け引きに忙殺されており、実戦は、下っ端のチンピラ同士で行われるのだ。また、広島ヤクザは、神戸の大組織の傘下で代理戦争を余儀なくされる存在でもある。
激しい闘争本能、裏切りに次ぐ裏切り。仁義を棄却した権力闘争は、国際的な冷戦対立のように、激しい精神の躍動と圧殺を産む。
「復活の日」では、3つのカテゴリーに属する人々の精神的アクションが活写される。東京の病院では、緒形拳や多岐川裕美が必死に診療を続けている。現在日本政府が恐れている医療崩壊とは、こういう惨状を指すのだろう。瘴気が立ち込める大病院に、次々と重症患者が担架で担ぎ込まれる。外来の診察を待つ人々の相貌には死相が浮き出ている。東京の死者は数百万人レベルに達し、もはや健康体で事態改善に従事できる人などいない。宗教に縋って平伏する人々。自暴自棄に乱痴気騒ぎする若者。
目の下の隈が青黒い緒形は、疲労の限界に達しているだけでなく、感染もしているのだろう。ウイルスの思うがままに院内感染は拡がっている。もはや診察や治療など無駄な状況だ。しかし、診察を続ける緒形。もはや生命を救う医師の責務などではなく、自らも含めた人々の大量死の脅威に、精神を狂的に昂らせているのだ。
米国大統領の執務室で、大佐が狂う。ウイルスの猛威による国家存亡危機を、強引に敵国の好戦感情と結び付け、自動報復システムの起動を進言する。当然大統領はこれを認めないが、ホワイトハウスの秩序は既に崩壊しつつあり、命令に背いてスイッチを起動する。
南極基地隊員たちは、自分たちだけが生き残った事実を重く、冷静に受け止める。人類という種の存続を最優先に考え、国家間の対立を克服しつつある。しかし、南極に幽閉された彼等に、精神も肉体も躍動するすべはない。
しかし、南極に向けられたソ連の報復ミサイルを止めるには、誰かが、ホワイトハウスの自動装置を止めに行かなければならない。米軍少佐とともに、草刈正雄がこの決死のミッションに赴く。
草刈正雄のヒロイズム
彫の深い端正な顔立ちの草刈は、当時美青年の象徴的な存在だった。しかし、「復活の日」の草刈は、ワイルドな肉体アクションを披露することもなく、野望を目論む策士でもない。物静かな地震学者だ。
米軍少佐と草刈はホワイトハウスに乗り込むが、既に余震は始まっており、建物の崩落が彼等の行く手を阻む。それでも草刈は核ミサイルの指令室まで辿り着くが、寸前のところで報復ミサイルの発射を止めることは出来ない。
奇跡の復活は、ここからだ。事前にワクチンを注射していた草刈は、ワシントンから南米の南端まで、歩き続ける。南極基地の核破壊を回避するため、女性を中心とした一群が、チリの海岸地域に避難する計画を知っていたからだ。草刈もチリの避難民にもワクチンが効いたのだろう。彼等は奇跡的に再会する。
野生動物や魚を素手で捕獲し、無人の大陸を歩き続ける草刈。荒唐無稽と言えば、それまでだろう。しかし、ズタボロになりながら、あくまで歩みを止めない草刈の姿は、大きな感動を呼ぶ。
ネガティブな不安よりも、ポジティブな意志のほうが強靭であり、必ず勝利することを私は信じている。
LEAVE A REPLY