あらすじ
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さびれた港町・魚深(うおぶか)に移住してきた互いに見知らぬ6人の男女。市役所職員の月末(つきすえ)は、彼らの受け入れを命じられた。一見普通にみえる彼らは、何かがおかしい。やがて月末は驚愕の事実を知る。「彼らは全員、元殺人犯」。 それは、受刑者を仮釈放させ過疎化が進む町で受け入れる、国家の極秘プロジェクトだった。ある日、港で発生した死亡事故をきっかけに、月末の同級生・文をも巻き込み、小さな町の日常の歯車は、少しずつ狂い始める・・・。
特徴のない地方都市
地方分権は、絶対に進まない。東京の力が、群を抜いているからだ。選挙区の票が欲しい政治家や、補助金が欲しい地方経済や、東京を嫉視している田舎者は、地方分権をポーズとして叫ぶが、本気ではない。マスコミも、偽善におもねって報道しているだけだ。
日本全国どの地方もすべて、魚が美味い。B級グルメは、広告代理店の若造が港区のオフィスで企画している。地域のコミュニティーは崩壊しているし、方言は使われなくなりつつある。
しかし、地方の歴史は古く、人々の営みが降り積もっているので、アメリカ中西部のような荒野ではない。自民党長期政権の蓄積として、インフラも整っている。もはや、封建的な村社会や地域の風習も残存していない。地方には、単に人が少ない土地があるだけだ。
六人の殺人犯が仮出所する。地方自治体である魚深市が、身元引受人として職や住居を斡旋し、更生を支援する制度を始めた、という架空の法制度からストーリーは展開する。市役所の職員である錦戸亮が、六人の世話係に任命される。地方都市の生き写しのように特徴のない錦戸が、元受刑者たちと濃密な関係を持ちそうになり、錦戸の人生に変化が訪れそうになる。
吉田大八監督のクールネス
吉田監督の前作は三島由紀夫の小説「美しい星(17)」である。米ソ冷戦時代の終末感を下敷きに、戦後社会の欺瞞をえぐり出した三島の原作は、貴種と下賤が混じりあうことへの生理的嫌悪を主張し、世界を司るべき貴種が絶滅の危機にあることに絶望してみせた。三島の絶望から50年以上経過した現代を舞台にした吉田は、貴種が完全に絶滅したことを確認しながら、特に絶望することもなく、クールに肯定してみせている。
田舎の後進性を戯画的に揶揄した「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(07)」、スクールカーストの冷酷さをクールに描いた「桐島、部活やめるってよ(12)」、横領犯の愚かな心性を蔑んだ「紙の月(14)」では、登場人物を離れたスタンスから俯瞰しながら、クラマックスの一瞬のみ、そのふところまで忍び寄るという、巧みな遠近法を用いて、クールに人間性を暴いてきた。
女優らしからぬセクシャルな魅力
魚深に戻ってきた木村文乃は、市役所での転入手続中に錦戸と再会する。錦戸は木村への好意を甦らせ、バンド活動の再開を提案する。スレンダーな股体でギブソンSGを抱え、ソニックユースのように歪んだストロークをプレイする木村は、90年代オルタナティブロッカーの佇まいがサマになっており、錦戸とは一線を画す洗練を見せつける。
しかし、木村は錦戸ではなく、元受刑者の一人である松田龍平と関係を持つ。市役所の好青年ベーシストよりも、パンク的な危うさを滲ませている松田のほうが木村の好みだし、魚深に同化することに対して、小さく抵抗もしたいのだろう。
元受刑者の一人である優香は、夫婦の性的嗜好をエスカレートさせた結果、夫を絞殺した罪で収監された。豊満な肉体がいかにも好色そうだが、錦戸の父である北見敏之と関係を持つ。すでに介護対象となっている北見を誘惑する優香のエロティックさには、洗練のかけらもない野暮な女が、「業」としての性欲を追及する凄まじさを感じさせ、表層のポーズだけで男を選ぶ木村との対比が鮮やかだ。
「紙の月(14)」で宮沢りえを揶揄する大島優子。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(07)」で劣化する女の魅力にしがみつく佐藤江梨子。佐藤にいびられることで自虐的なエロスを発散する永作博美。「クヒオ大佐(09)」で堺雅人にだまされる松雪泰子と満島ひかり。「美しい星(17)」での金星人としての瞑想ポーズが美しい橋本愛。
旬の女優が魅力的なのは当たり前とも言えるが、吉田作品の女優たちは、女優としての魅力ではなく、終末を生きる女のリアルな苦難を体現している。美しく、聡明なのに幸福を勝ち取れない女たちは、自身の美しさを巧く飼いならすことができていない。故に、凡庸な男との関係性のなかで、小さく堕落していく。その過程で輝くセクシャルな魅力を吉田監督はクールに切り取っていく。
松田龍平の異形性
錦戸や木村の人生の単純さを暴き、田舎者の挫折の幼稚さをあざ笑うのが、松田龍平だ。松田は、実際に暴いたり、あざ笑ったりはしないが、生まれ持った狂気と凶暴性が、稚拙な骨組みで成り立っている共同体を破壊しかねない危うさを分泌している。
大島渚監督の遺作「御法度(99)」でデビューした松田は、衆道の手練れとして、ビートたけしや浅野忠信を翻弄した。ゲイの愛玩対象としてスクリーンに登場した彼は、当初から異形の存在だったわけだが、その後、主演作は重ねたものの、伸び悩んでいたように思えた。
30歳に近づいたあたりから、「誰も守ってくれない(09)」「剣岳 点の記(09)」「まほろ駅前多田便利軒(11)」「探偵はBARにいる(11)」の助演で頭角を現した。佐藤浩市、浅野忠信、瑛太、大泉洋といった兄貴分とつるむクールな弟分キャラは、ユーモラスな味わいを獲得し、異形性を少し中和してみせた。
松田優作は、後期作品にて、エキセントリックな衝動を乾いた諧謔で巧みに包み込んでみせたが、それと同種類のテイストを強く想起させつつも、当然ながら父とは全く違う存在感の高みにのぼりつつある。
田舎町を犯す異形の虚無
松田は、同年代の錦戸と親しくなり、バンドの練習にも顔を出すようになる。木村との仲を錦戸に公言するが、松田の無表情からは、感情の発露が感じられない。おそらく彼は、大都会の虚無を存分に吸いとってきた人間であり、本当は錦戸にも木村にも興味はない。収監中に蓄積した性欲を満たすために女が必要になったが、女なら誰でもいいわけではなく、錦戸が惚れている女だから、少し気になっただけなのだろう。
虚無は、今や、全世界の人間の精神を蝕んでおり、魚深市民など翻弄されるしかない。優香の肉体に溺れている北見や、受刑者の一人である田中泯を受け入れるクリーニング店主の安藤玉恵のような年配の市民たちにも、地域にどっしり根差した奥深さなどない。自分たちが、「美味い魚」か「B級グルメ」のような存在であることにさえ、気づいてないのだろう。
「のろろ様」の天罰と「のっぺらぼう」の世界
魚深に鎮座する神、「のろろ様」は、邪悪な存在である松田に天罰を下すが、この程度の天罰で錦戸が生き残ったとしても、何がどう変わるわけでもない。おそらく木村はもう一度東京に出ていくのだろうが、錦戸はラーメン屋に連れていく程度で、木村を抱くこともできない。
「のろろ様」は、魚深を象徴するような愚鈍な神だが、魚深や「のろろ様」や錦戸のような凡庸な存在は、社会の安定にとって必要不可欠であり、その安定がなければ、虚無が獲物を蝕むことすら出来なくなってしまう。
統治者と奴隷と異端が、それぞれの役割を全うすることで世界が成立してきた、と考えていた三島由紀夫は、だからこそ、貴種の絶滅の危機に警鐘を鳴らしたのだ。統治者と凡庸と異端の境界がなくなった世界は「のっぺらぼう」としか言いようがない。
いよいよ「のっぺらぼう」の完成段階に突入しようとしている「令和」では、凡庸な弱者が殺人犯をコミュニティ内部に受け入れるし、性行為の最中に絞殺されるリスクも引き受ける。すでに、終末後の世界は始まっていることを、吉田監督は、クールに俯瞰している。
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