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蔵原惟繕監督 「憎いあンちくしょう」 1962 レビュー ネタバレあり

蔵原惟繕監督 「憎いあンちくしょう」 1962 レビュー ネタバレあり

浅丘ルリ子の最高傑作

 蔵原惟繕のシャープなカッティングも素晴らしい。石原裕次郎の男っぷりも素晴らしい。しかし、この映画の到達点は蔵原や石原の度量ではない。浅丘ルリ子という史上最高の女優が誕生する輝かしい瞬間が、奇跡的というほかないほど鮮やかに刻まれているのだ。

 石原裕次郎は、マルチタレントを演じる。当時勃興していたマスコミの寵児。人気と殺人的なスケジュールは、石原自身を投影している。彼のマネージャーが浅丘ルリ子。二人は恋人同士だが、性行為を行わないという規律で愛情の鮮度を保とうとしている。

 石原のテレビ番組に、芦川いづみが出演する。芦川は熊本の無医村の医師(小池朝雄)と遠距離恋愛している。山間地の往診に必要なジープを、二人はコツコツと貯めた金で購入するが、熊本までの移送費を捻出できない。石原は、多忙なスケジュールを全て投げうって、自らジープに乗り、西へひた走る。

 東名高速も名神高速もない時代、国道を走る石原を、困惑した浅丘が、石原の愛車ジャガーで追う。テレビ局のディレクター(長門裕之)と組んで、この逃避行そのものを番組に仕立て上げもする。番組は名古屋で成立し、浅丘は替え玉ドライバーを手配もするが、石原はジープの爆走を止めない。錯乱する浅丘は、京都や大阪で石原を説得するが、石原は応じない。浅丘にとって、石原の過密スケジュールは彼自身を自らの手中に収めておく代償行為だったのだが、それが破壊されたことで、愛情さえも壊れたように思ってしまう。しかし、広島を過ぎた頃から、浅丘にはもう、スケジュールなどどうでも良くなっている。最愛の男を追いかけたい一心なのだ。

熊本に到着した二人を芦川と小池が迎える、といった演出を長門が企てる。カメラの放列に戸惑う芦川と小池に対し、石原と浅丘の愛情はピークまで高まっている。荒々しく浅丘を抱き寄せ、唇を奪う石原。代償行為や余計な感情を一切削ぎ落して、最愛の男に抱かれる歓びを全身で表す浅丘。この瞬間の浅丘ルリ子こそ、映画史上において最も美しい女優だ。

選良のラブストーリー

 深夜の六本木デートの後、石原に送り届けられた浅丘が自室でひとり、自らの下着姿を鏡に映して言う。「全然イカしちゃってるわ。」スレンダーな股体はモデル体型というほどでもなく、小柄で愛らしい身体つきだが、意外に胸元はふくよかだし、細い腰つきも悩ましい。グラマラスな白人女性とは違う、日本的なキュートネスだ。

 しかし、顔立ちは和風ではない。パッチリと大きな眼。厚くセクシーなくちびる。細い顎から首、肩までのライン。その面影には、ネガティブなところが全くない。

自身の美しさと強い男を愛して、ピュアネスを失わない女。彼女は自らの美しさを愛しているが、それはナルシシズムではない。健康な女性が、健やかに自らの美しさを愛している姿。その自信は、強く明るく、嫉妬の感情を産むことなどない。

 石原と浅丘のラブストーリーは、紆余曲折、迷走しても、一貫してポジティビティーに満ちている。自分たちが選良というべき容貌と才能を持っていることを知っているのだ。

少女の目覚め

 禁欲している浅丘は、石原の浮気を大目に見ている。22歳の処女は、まだ少女から抜け出せていないのだ。ここまで魅力的な男に、女の一人や二人いないわけがない。男の甲斐性も含めた彼の全てを、私は愛しているんだわ。でも、全然イカシちゃっている私を、彼が抱きたくない筈がない。本当に愛しているのは私だけ、って確信はある。でも少し不安なのは、私を抱いた後もしかしたら、お互いに飽きちゃうことかもしれない。

 長門裕之はそんな二人を「ケチ」と評する。美味しいお菓子をとっておく子供のようだと。そのとおり。まだまだルリ子は子供なのだ。ジープの逃避行が西へ進むごとに、浅丘の表情に余裕がなくなる。芸能マネージャーの小賢しさは消えうせ、恋する女の美しさが憑依してくる。この映画は、浅丘ルリ子のドキュメントなのだ。

 満州に産まれ、15歳で映画デビューした可憐な少女。石原を筆頭に男性スター中心の日活で、彼等の恋人役として多くの映画に出演する。なかでも小林旭とのコンビは人気を博し、恋仲にもなる。「渡り鳥シリーズ」では日本各地をロケーションしたが、二人の仲は暗黙の了解であり、監督やスタッフも優しく見守っていたらしい。せっかくみんなが気を遣って、宿でも二人きりにしてくれているのに、若く精力に溢れる小林は、呑みに出かけてしまう。林真理子の小説「RURIKO」は、浅丘の健気なさ、勝気さが、女性としての魅力に満ちあふれていることを余すことなく表現している。

空前絶後のスタア

 石原裕次郎は、当時28歳。衝撃的なデビューから一気にスターダムを駆け上がり、映画だけでなく、日本を代表するスターとなっていた。「太陽族」という呼称の元の意味合いとは違うが、戦後日本の復興を体現する「太陽」のような存在となっていた。戦争中の辛い記憶、戦後のやけくそのような混乱。そうした負の記憶を持ち合わせていない青年の登場。米国的な合理主義に乗っかって、若さを快楽にぶつけ、既存の権威を蹴散らしていく若者を、大衆は喝采した。

 まさに石原は、大衆社会の寵児としてブレイクし、急激に勃興するマスコミは、彼の一挙手一投足を書き立てていた。マスコミと大量消費社会の恩恵で、若きスタアはのし上がったのだが、自らの実像と虚像の境界線は危うく彷徨いだした。「憎いあンちくしょう」のマスコミ青年と実際の石原がまったく同じ心情ではなかったかもしれない。山田信夫の脚本こそ、虚像を巧くとりいれたマスコミ的なフィクションなのだ。実際の石原は、もっとしたたかに腹黒い面が強かったようだ。石原慎太郎の小説「弟」では、まだ大学生の石原兄弟が、映画会社の幹部を半ば恫喝するかのように自らを売り込んでいく様子が描かれている。

 「憎いあンちくしょう」では、そんな石原の虚実撮り混ざったスタア像が描かれる。ここでの石原は、男性的に行動し、信念を貫く男だ。しかし、自らの感情の揺れに正直であり、若者らしく迷いもする。そして、その全てが圧倒的に爽やかで明るい。かくして、祝福すべき彼らの恋愛は、観客すべてが応援し、妬むことなどないのだ。

蔵原惟繕の作劇

石原主演の「俺は待ってるぜ(1957)」で監督デビューした蔵原は、その後も裕次郎主演の佳作を撮り続け、この大傑作をものした。「愛の渇き(1967)」など、浅丘ルリ子が更に女優として深化する諸作も撮った。後年は「キタキツネ物語(1987)」「南極物語(1983)」といったフジテレビ製作の巨大プロジェクトをまとめ上げた。

蔵原のフィルモグラフィーに一貫するのは、行動力の賛美だ。人生や生活に迷うなか、果敢に行動することで活路を見出そうとする人物。「憎いあンちくしょう」の石原は、闇雲にジープを走らせ、浅丘はそれを追い続けた。深い思惑などない。とくに真実を求めているわけでもない。目の前にある何かを目掛けて行動するだけだ。

熊本の広い草原で、バッタリ倒れる石原は、眩い太陽に目を細める。ギラギラ輝く、彼自身の象徴でもある太陽。男は、何ものにも頼らず、太陽のような存在として行動する。女は、そんな男を激しく愛し、可憐にも守ろうともする。太陽のもと、誰に隠すことなく、最高のラブストーリーは堂々と完結する。 

ABOUT THE AUTHOR

佐々木 隆行
佐々木隆行(ささきたかゆき)

1969年生まれ。広島県出身。青山学院大学中退。IT企業勤務。
最初の映画体験は「東映まんがまつり」。仮面ライダーがヒーローだった。ある年、今回は「東宝チャンピオンまつり」に行こうと一旦は決意したものの、広島宝塚へ歩く途中に建っていた広島東映「東映まんがまつり」の楽し気な看板を裏切ることが出来なかったことを痛切に覚えている。

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