堂々たる新作
裏切られた。これはノスタルジーではない。シリーズの名シーンがインサートされ、亡き寅さんを皆で懐かしがる代物だと思っていた。確かに懐かしんではいる。インサートシーンも多い。しかし、「男はつらいよ お帰り寅さん」は、「男はつらいよ」シリーズの予定調和をなぞらない、2019年バリバリ新作の日本映画だった。
1969年に始まり、1995年に終了した「男はつらいよ」は、シリーズ開始当初から、ノスタルジーに浸かった映画だった。日本の古き良き風景、家族、人情は、戦後失われ続け、サイケデリックな1969年には僅かしか残存していなかった。東京の下町からさらに東、千葉県との境に位置する葛飾柴又は、現実とフィクションとの境界としてギリギリ設定できる町だったのだ。
1970年代には、現実とフィクションとの境界線は、映画館の暗闇のなかでなら、誤魔化せた。映画会社専属時代に育った女優たちが、日本映画黄金時代の清楚な煌びやかさを齎した。しかし、1980年代に入ると、テレビ出身の爽やかな女優が登場し始める。親子ほど年が離れた彼女たちに寅次郎が惚れるという設定は、かなり苦しくなった。
その苦境を切り開いたのが、寅次郎の甥である吉岡秀隆と後藤久美子のシリーズだった。体調が万全でない渥美清は出番も少なくなり、ベテラン俳優らしく若い二人を見守るスタンスにシフトした。目の覚める程の美少女で、当時トップクラスの女優だった後藤に比して、子役あがりの吉岡は、ルックスも凡庸な冴えない青年だった。明らかに分不相応な二人のラブストーリーは、シリーズに新味を与えたが、初期~中期の傑作群に迫る程の映画的ドラマは生まれなかった。
それから24年、中年となった吉岡と後藤が再会する。そこにさまざまな心模様が沸き上がる。「男はつらいよ お帰り寅さん」は、車寅次郎を懐かしむノスタルジーではなく、吉岡秀隆と後藤久美子の普遍な男女の純粋さを描いた、大傑作だった。
吉岡秀隆のピュアネス
吉岡秀隆は、10歳のときから寅次郎の甥役で出演した、シリーズ中期以降のレギュラーだ。19歳のときから主演格に抜擢され、内向的で不器用な青年を演じた。若いとはいえ、成人に達する年齢にしては、容姿も行動も子供っぽく、整った顔立ちの大人びた少女であった後藤とはとても釣り合うようには見えなかった。
本作の吉岡は、会社を辞め、小説家として成功の眼が出始めた中年男だ。妻を六年前に亡くし、高校生の娘(桜田ひより)と二人で暮らしている。四半世紀を経たにしては、風貌は青年期の面影を色濃く残している。俳優としての吉岡は、同じ小説家を演じた「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズを代表作とし、数々の映画やテレビドラマに出演し、着実にキャリアを重ねて来た。
しかし、恩師である筈の山田洋次の「男はつらいよ」終了後の諸作に主演してはいない。「男はつらいよ お帰り寅さん」が彼の初の山田作品の主演作だといえる。
吉岡の所作は自信なげで、優柔不断に見える。しかし、明るく素直な桜田は頼りない父を馬鹿にすることなく、素直に敬愛している。出版社の担当編集者(池脇千鶴)、母親(倍賞千恵子)ら、素直に優しい女性に囲まれて、幸福に暮らしている。
後藤との再会をきっかけに、寅次郎と微妙な恋仲だった浅丘ルリ子、後藤の母である夏木マリとも旧交を温めることになる。桜田、池脇、倍賞と違ってかなり蓮っ葉な女である浅丘、夏木とも、吉岡はごく自然体のコミュニケーションを交わす。
思えば車寅次郎=渥美清は、女性と自然体のコミュニケーションをとれない男だった。寅次郎の含羞の愛らしさが「男はつらいよ」シリーズの核であったならば、魅力的な女性たちを引き立てる形で、吉岡は、映画の中核にしっかり存在している。「男はつらいよ お帰り寅さん」は優しく美しい女性たちの魅力を引き出した、吉岡秀隆の堂々たる主演作なのだ。
普遍的な純粋さを持つ女性たち
流浪のキャバレー歌手だった浅丘ルリ子は、神保町で喫茶店を経営している。吉岡/後藤と再会した浅丘は寅次郎を懐かしみ、話に花を咲かせる。なかには幼かった吉岡も知らない逸話もあり、浅丘と渥美の優しく複雑な関係が改めて浮き彫りになる。二人のいちばんの共通点は、含羞だ。浅丘は若い頃から、明るく、はきはきした女性像を体現してきたが、一方で、細やかな優しさと含羞をごく自然にまとっている。年老いて尚、派手に着飾っているが、彼女は少女の含羞を失っていない。短いシーンのみの登場だが、60年を超える彼女の女優歴に、また一つ忘れ難い作品が加わった。
夏木マリは、ロックな女として登場する。90年代寅さんの後藤の母親役では、妖艶な水商売女を演じたが、四半世紀を経て、ヒップな女になりおおせている。しかし彼女も、決して芯からの悪女ではない。蓮っ葉に振舞ってはいるが、吉岡の優しさには素直な好感をいだいている。彼女は、地味に物静かな男が好きなのだろう。90年代寅さんにて、彼女の夫を演じた寺尾聰にも通じている。
前田吟と倍賞千恵子は、下条正巳と三崎千恵子の後を継いで、すっかり「おいちゃん、おばちゃん」になっている。しかし、年老いて尚、倍賞は、「美人で気立てのいい女」だ。前田との夫婦関係には年期の入った味わい深さを感じさせるが、母と息子の関係も、絶妙の年輪を感じさせる。
「男はつらいよ」シリーズの終了とほぼ同時に女優を引退し、F1レーサーのジャンアレジと結婚した後藤久美子。世界的なセレブとなって欧州に暮らす後藤にとって、一作だけの特別な映画復帰なのだろう。40代になった後藤は、上流階級の淑女然としており、目の覚めるような美しさだ。しょぼくれた中年男である吉岡とは、若い頃以上に釣りあわない。
しかし、吉岡は、まったく怖気づいていない。ただ、初恋の人との再会を喜び、彼女の両親や欧州の家族の幸福を気遣う。成長した吉岡は愚かなプライドから脱け出せているのだ。前田や倍賞も後藤の抜きんでた美しさを畏怖することなく、ただ、息子の初恋の人として優しさを振りまく。美人が突然現れるのは、渥美の時代に慣れっこになったのかもしれないが。
山田洋次は現役だった
「男はつらいよ」の終焉後、「学校」「虹をつかむ男」「家族はつらいよ」といったシリーズもの、「たそがれ清兵衛」から続く藤沢周平時代劇、吉永小百合主演の諸作と、むしろ「男はつらいよ」以上に現役度を強めていた山田洋次だが、吉岡秀隆という、真空主演男優を巧みに使って、普遍度の強い人間ドラマを作り上げた。
渥美清は、ヤクザ育ちの男だった。ヤクザといってもドラッグや売春を扱うギャングではない。少し荒っぽいが気は優しく、生来の含羞から、照れてばかりいる男だ。朴訥な父とタイプの違う伯父に興味を持った吉岡少年との間に、男の含羞の交歓がかつてあった。しかし、吉岡秀隆は渥美清の後継者ではない。彼は含羞を自然に卒業し、最愛の娘の幸福を願って、ひっそり生きる凡人となったのだ。彼は決して流浪の旅に出ることはない。
「男はつらいよ お帰り寅さん」に悪人はいない。エキセントリックな心性を持つ人物も登場しない。皆が、徹頭徹尾、素直だ。寛容だ。しかしこれは、偽善の世界ではない。すべての心の動き、すべてのセリフがリアルで、ストレートで、優しい。そして、お約束のルーチンをなぞっていない。シリーズものではない「男はつらいよ」が第一作から半世紀を経て、初めて登場したのだ。
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